トゥパック殺害事件、キーフDに最低40年の拘禁刑
· BehindLines 編集部
トゥパック・シャクールの死から30年を経て、ネバダ州の裁判所は火曜日、この殺害事件で唯一有罪判決を受けた人物に刑を言い渡した。カリフォルニア州コンプトンの元ギャングのリーダー、デュアン・「キーフD」・デイビス(63)には、40年から終身の拘禁刑が科された。少なくとも40年間は服役することになる。陪審は9月、凶器を用いた殺人で有罪と認定していた。デイビスは控訴すると表明した。
発砲者ではなく、犯行を主導した人物
1996年9月7日、25歳のラッパーはマイク・タイソンの試合を観戦した後、ラスベガス・ストリップ近くで車から銃撃を受け、数日後に死亡した。検察によると、デイビス自身は発砲していない。銃撃した側の白いキャデラックに乗っていた一団を率いており、回想録では銃を渡したことを認めていた。検察は、同じ夜にシャクールとけんかをしたデイビスのおい、オーランド・アンダーソンを発砲者として挙げていた。アンダーソンは関与を否定し、この事件で逮捕されないまま、1998年に別の銃撃事件で死亡した。
自らの証言が不利な材料に
捜査の転機となったのは、デイビス本人の発言だった。2008年、ラッパーのノトーリアス・B.I.G.の死について警察の聴取を受けた際、訴追からの保護と引き換えに自身の役割を説明していた。2019年に出版した回想録『Compton Street Legend』とその後のインタビューによってその合意は失効し、裁判官は当時の聴取内容を公判で使うことを認めた。2023年に逮捕され、これらの自認をもとに裁判を受けた。弁護側は、本を売るための誇張だと主張し、凶器などの物的証拠がない点を強調した。
量刑の法廷で
ラッパーの妹セキワ・シャクールは、兄が自分にとって父親のような存在だったと述べ、最高刑を求めた。別の家族であるモーリス・シャクールも同じ要求をした。発言を促されたデイビスは、控訴すると繰り返しただけだった。カーリ・キアニー判事は、3年間にわたって自分は変わったと訴えてきたことを批判し、人の命を奪ってから過去を水に流すことはできないと諭した。
トゥパック・シャクールのレコード売上は7500万枚を超える。長く未解決だった殺害事件は、30年間にわたり数え切れないほどの説を生んできた。